<p align="right">公開日:2026-02-11
更新日:2026-02-11</p>
去る2月6日、日ごろFediverseなどで遊んでいただいている松浦はこさん([@
[email protected]](https://366.koyomi.online/@matsbox), https://koyomi.online/ )が暦擬人化漫画『こよみごのみ』の単行本を出された。
以下は出版元の朝日新聞出版の紹介文である。
>主役は元旦と大晦日!!
カッコカワイイ暦の擬人化コミック!!
昭和・平成・令和と時代は流れ、それとともに薄れゆく四季折々の行事――。なんとその影響で一年の計を担う「元旦」が記憶喪失になっていた!!
このままでは「時の歯車」が停止してしまう!!
元旦の相棒「大晦日」が原因究明に向かうが、「暦の使い」たちに次々とエラーが起こり始めたから、さあ大変――!!
https://publications.asahi.com/product/25807.html
はこさんは同人でずっと暦の擬人化をテーマにした創作をされていて、今回は晴れて商業誌での連載が単行本になったというわけだ。
ノキは同人版も持っているので、単行本はそれとの違いなんかも楽しみながら読んだ。ふふふ……。
以下、初読の感想を箇条書きでまとめつつ、ぼくの専門にも引き付けて書いてみたい。
もちろんネタバレ満載なので未読の方は注意。
あ、なんか冷静な書き出しになったけど、めっちゃ面白くてFooooo!!!!となっている。
面白かった~~~~~~~!!
# 感想いろいろ
- **ヒナタさま・ツキミさまああああ!!**
さっきまでおしとやかにしていた二人がページをめくったら必死の形相でエアロバイクを漕いでて吹き出してしまった。しかも回によってランニングマシンで走っていたり大晦日さんが走ったりする。頑張れ!!!(いや異変が解決するのが一番いいのだが)
- **「「特別な日」の概念が消えかけているの」**
いやーこれはほんとにそうだよなあ。わりと年中行事を意識することの多い分野を研究対象にしているにもかかわらず、日常ではほとんど何もしない。子どもの頃なんかは「ただの日なのにわざわざ特別なことするなんてダセーよ」とか突っ張っておった。最近は少し考え方が変わってきたのだけど、暦の使いたちの異変にはぼくも関わっているかもしれぬ。すまぬ……(泣)
- **元旦くん、誰に雇われてバイトしてるの……?**
様子のおかしい暦の使いのもとに必ずいる元旦くん。これについては作中でも不思議がられているのだけれど、この異変を解く鍵になりそうな謎だね。そもそも、誰に雇われてるの……?タイミー的な感じかなと最初思ったけれど、「君も保育園のバイトに**呼ばれたの?**」というセリフがある。
これ誰かに頼まれてその場に行ってるよね。もしかして元旦くんにバイトを斡旋してるのって……。
- **立春さんのキャッチ力……!**
赤ちゃんに戻った節分の鬼さんを空中で見事キャッチし、春をもたらした立春さん。そのキャッチ力には熟練の技術の裏付けがあったのであった。巻末の4コマ参照!
そういえば「鬼はうち」と言うところもあったよな~と思い調べてみると、[奈良のお寺や神社でそういうところがあって](https://kids.gakken.co.jp/kagaku/nandemo/setsubun20240201/)興味を持った。
- **七夕尊し**
いい話!織姫さんがかわいくて好きなんだ。そして、実はこうして筆を執ったのも七夕の話でおーっと思ったからである。詳しくはあとで!
- **お盆!**
花まつりの回もそうだったのだけど、その行事にまつわる様々なモチーフを話に落とし込んでいくのが本当にうまくてすごいなあと思う。この回は旧暦・新暦や地域差などもうまく織り込んでいて、とてもおもしろい。なにより、肩出し薄めイケメンは良いものですからね(?)
- **カバー裏**
カバー裏に仕掛けがある漫画最高最高。勉強になる!
# 七夕について
さて七夕。
カササギは出ないかな~と読み進めていたら、最後の最後で出てきてさすが!!!となった。
七夕・カササギと来れば思い出すのは以下の和歌である。
> かささぎの渡せる橋に置く霜の白きを見れば夜ぞふけにける
『新古今集』にも収録されているが、『百人一首』で覚えた方が多いと思う。
作者は大伴家持。
家持といえば『万葉集』の編纂にかかわったとされる人物で、『万葉集』に最も多くの歌を残している人でもあるのだけど、実はこの歌は『万葉集』には載っていない。
そのため本人の作ではないだろうとされている(事態はもうちょい複雑だけど措く)。
『新古今集』の時代は『万葉集』の時代から4~500年もあとのため、こうした現象が良く見られるんだよね。[^1]
歌は「かささぎが天の川に渡した橋の上に置いた霜が白いのを見ると、夜が更けてきたなあと思う」くらいの意味。
「かささぎの橋」というモチーフはこの歌オリジナルのものではなく、他にも歌に詠まれているし、元ネタは漢詩にあるのだけど、もしかして『こよみごのみ』ではこの歌を念頭に置いてあの展開にしたのかなあ、なんて思ったりもした。
七夕はそれこそ奈良時代以前から日本で親しまれていて歴史の長い行事なのだけど、実は七夕はもとは中国の文化。
良く知られているとおり、日本では彦星(牽牛)が織姫(織女)のところに通っていくのだけど、中国では逆。
七夕の話が中国から日本に輸入された際に男が女のもとへ通う日本の通い婚の文化を反映して逆になったんじゃないか、なんて言われているよ。
ところが、最近面白い説を見た。
いわく、中国から伝えられるより先に、朝鮮系の渡来人によって七夕伝説がもたらされたのではないか、という説。
朝鮮からもたらされたという可能性については考えたこともなくて、結構びっくりした。
とはいえ、結局日本人は中国の七夕詩もたくさん摂取しているしなあと思うし、そもそも今残る文献から日本の七夕伝説の由来を考察できるのか、という点に不安はあるけれど、[^2]ちょっと調べてみても良いなあと最近思っているのであった。
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という感じで、『こよみごのみ』を読みつつ思ったことを最近うっすら考えていることに引きつけて書いてみた。
9日から15日まで大阪の梅田駅にポスターが貼ってあるそうなので、週末見に行きたいなあと思ってる。
見つけられたらここに写真をアップしようかな。
そんな感じ!またね~
[^1]: 『百人一首』の柿本人麻呂の歌も同じ。「あしひきの……」の歌は『万葉集』では作者がわからない歌として載っている。
[^2]: 飛鳥時代や奈良時代、あるいはそれ以前は文献史料が全然残っていなくて、色々と考察が難しいところがあるのだ。なので、そういう可能性はあるけれど今残っているものからはそこまでわからない、ということは良くある。なにかはっきりしたことを言おうとすると想像(妄想)の域に入っちゃうことが多いんだよね~。