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*https://www.kumamoto-u.ac.jp/whatsnew/sizen/20251021*
2025年10月23日の朝、Mastodonを見ていたら[こんなニュース](https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2510/23/news040.html)を目にしたよ。
> 熊本大学などの研究チームは10月22日、ヤドカリと共生し、その「宿」となる巻貝のような構造物を作るイソギンチャクが新種であることを突き止め、「ツキソメイソギンチャク」(学名:Paracalliactis tsukisome)と命名したと発表した。
この「ツキソメ」というのは『万葉集』に由来するらしい。
新種の動物に万葉歌が由来になるのは素直に嬉しかったので、どの歌だろうと調べているうちに、この命名じたいに疑問を持つに至った。なので筆をとったんだ。
なお、この文章は文学研究の立場から知見を提供するもので、決してこの研究成果を貶めたり、新種のイソギンチャクの価値を低めるものではないことをあらかじめお断りしておくよ。
研究の立場からは疑問があるけど、いい名前だしね。
では行ってみよう!
* * *
命名のあらましは、[熊本大学のプレスリリース](https://www.kumamoto-u.ac.jp/whatsnew/sizen/20251021)に書いてあるので、まずはそちらを見てみよう。
流石にきちんと書いてあって、誠実さを感じた。
この注7に、命名の由来が詳しく書いてあった。少々長いけど大事なので引用しよう。
> 万葉集 第12巻に収録された歌「桃花褐の浅らの衣浅らかに思ひて妹に逢はむものかも」で使われた淡い桃色を表現している言葉。歌の意味は「桃花褐に浅く染めた衣のように、心を浅く思って妻に逢うことが、どうしてあろう」(出典:中西進 1981. 万葉集 全訳注原文付(三) 講談社文庫)。
> 桃花褐の訓読には諸説あり、近年は「ももきぬ」と読むべきとする論考も出版されている(村田 右富実 2025.『万葉集』巻十二・二九七〇番歌の「桃花褐」について : 付「往褐」: 関西大学東西学術研究所, 3–17 p.)。本研究では、名前の発音のしやすさも考慮した上で、中西進(1981)に書かれた訓読に従い「つきそめ」とした。
「つきそめ」の由来は『万葉集』巻12の歌、「桃花褐の浅らの衣浅らかに思ひて妹に逢はむものかも」であるという。初句が「つきそめ」に当たるわけだね。
ここには書いてないけど、和歌に言及するときには、『国歌大観』で振られた番号も一緒に掲げることが多い。
当該の歌は、2970番だよ。
なお、『国歌大観』は新しい版が出ていて、普通はその番号を使うのだけど、『万葉集』だけは色々な事情があって、旧版の番号をずっと使っているんだ。まあ、その話をしていると話がそれるので、ここでは措いておく。
さて、2段落めに進むと、「桃花褐」の訓み方に諸説があることが触れられている。
『万葉集』はひらがな・カタカナができる前の書物なので、全文漢字だけで書かれている。
昔の日本人は自分たちの言葉を漢字で記すために、いろいろな工夫をしたんだね。
でも、その工夫が後世の人にはわかりづらくなって、どう訓んでいいかわからない箇所も少なくないんだ。
「桃花褐」もその一つ。
今回の「つきそめ」は、村田右富実氏の論文によって別の訓み方の案も示されているけれど、現在最も人口に膾炙している中西進『万葉集 全訳注原文付』(講談社文庫)に従ったようだね。
なぜ「つきそめ」をとったかというと、
> 名前の発音のしやすさも考慮した
からだという。
ぼくはここに疑問を感じる。なぜなら、ぼくら『万葉集』研究者は『万葉集』の訓を決めるとき、発音のしやすさということで判断していないからだ。
動物の名前だから発音しやすいものにするのは当然だと思うけど、村田氏の論文を読んでおいてそれはちょっと雑なんじゃないかなあ。
村田氏の論文を読んだからには、村田氏の論の妥当さで判断してほしかったと思う。
以下では、村田氏の論文を参照しながら、結局「桃花褐」はどう訓んだらいいんだろうということを述べてみたい。
* * *
まず書誌。プレスリリースにもきちんと示されていたけど、日本文学系の流儀でもう一度示しておく。
> 村田右富実「『万葉集』巻十二・二九七〇番歌の「桃花褐」について―付「往褐」―」、『 関西大学東西学術研究所紀要』58、2025年、 3–17頁
関西大学のリポジトリから見られるので、URLも置いておくね。
https://www.kumamoto-u.ac.jp/whatsnew/sizen/20251021
さて、村田氏のまとめによると、「桃花褐」の訓み方にはこれまで5説があったようだ(4頁)。
それを掲げると、以下のとおり。
* もものはな
* あらそめの
* あらかちの
* ももそめの
* つきそめの
上の3つは少々古い訓み方で、現在の研究水準では「ももそめの」か「つきそめの」で割れている感じかな。
数的には、「ももそめの」を採用する研究書が多いみたい。
ちなみに、手に取りやすい現行の一般向けのテキスト・文庫本の状況は、
「ももそめの」……『新日本古典文学大系』・岩波文庫
「つきそめの」……『新編日本古典文学全集』・講談社文庫
となっている。真っ向から対立している状況だね。
さて、ここからはどうして下の2つのように訓むのかという点に的を絞って説明していきたい。
古いからダメというわけではないけど、上の3つは致命的な問題があるようなので、煩雑さを避けたよ。上の3つがよくない理由が気になる方は、論文をあたってみてね。
「ももそめの」は、江戸時代に鹿持雅澄という人が、「褐」という字は「布衣」の意味であり、「染める」意味はないけど、「桃花色に染めた布衣」の意味で「桃花褐」と書いたのだろう、という説を唱えて、現在まで支持されているみたい。
「桃染」というのは『日本書紀』にも出てきていて、どうやら当時「桃染」の布があったらしいということが根拠になっている。
しかし、村田氏は「ももそめ」という言葉は確かに当時あったらしいけれど、「褐」が「染める」という意味ではないことを取り上げ、「褐」を「そめ」と訓んでしまうと、
> 決して文字に忠実とはいえない(6頁)
と批判し、「ももそめの」説を退けている。
次は「つきそめの」説。
「ももそめの」は、戦後に出た『日本古典文学大系』というテキストが、『日本霊異記』に「桃花」の訓注に「つき」とあることを根拠に、『万葉集』の「桃花」も「つき」と訓むべきと主張し、現在の研究書もこれを支持しているみたい。
しかし、村田氏は、そもそも『日本霊異記』の「つき」という訓注が怪しいと述べている。
どうやら写本によってあったりなかったりする訓注のようで、色々と誤写も想定できるみたい。
ようは、訓み方の根拠としてはこの訓注の素性が怪しく、安易に採用できない、ということだね。
ということで、村田氏は従来の5説すべてを退けている。
かなり大きいのは、「褐」を「そめ」と訓むことだね。この字に「染める」という意味がない限り、どうしても原文に忠実な訓み方は難しくなってしまう。
村田氏は、そこを重視されているようだ。
既に長くなっているのだけど、以下では、村田氏の提示する新しい訓と、その根拠を説明していくよ。
* * *
村田氏は、まず上代(奈良時代以前)の文献に出てくる「褐」字の用例や、『万葉集』の時代に近い時期の辞書(古辞書というよ)類の記述を丁寧に検証し、「褐」字は「布」の意であると述べているよ。
そのうえで、『万葉集』の「褐」字がどういう意味で使われているのか、他の歌の例を検証している。
詳細は論文を見てほしいのだけど、『万葉集』中にもう一例しかない「褐」字もまたどう訓んでいいか難しい箇所のようで、結局、そちらを根拠に今回の「桃花褐」の訓み方を決めることはできないと述べていたよ。
ということで、やはり「褐」字の漢字としての意味から訓を起こしていくしかないわけだ。
まず村田氏は、「褐」は「布」の意であるから、「ぬの」「きぬ」「ころも」の3通りでしか訓めないのではないか、とする。
そのうえで、「桃花」を「もも」と訓むことに問題はないとし、であれば、「ももぬの」「ももきぬ」「ももころも」の3種類の訓み方しかないといっている。
そして、『万葉集』中の「ぬの」「きぬ」「ころも」の例を検証し、「ぬの」は仕立てる前の段階を指す語であり、「仕上がったウェアを歌う」(14頁)今回の歌には適さず、また、「ころも」はウェアを指す例しかなく、「~きぬの~ころも」といった歌の例があるのを重視して(「~ころも~ころも」と並列させた例はないわけだね)、この歌もそうした類型の一例だとして、「ももきぬの」が最適だ、と結論づけたよ。
つまり、
> **ももきぬの**浅らの衣浅らかに思ひて妹《いも》に逢はむものかも
という歌だと言うわけ。
村田氏によれば、この歌は、「桃色に浅く染めた衣」を引き合いに出し、自分の妻を思う心がそのように浅くないことを述べた歌、と結論付けられそうだね。
熊本大学のプレスリリースには、「相手への強い気持ち」を強調するために使われたことを理由に「つきそめ」を採用するけれど、村田氏の提示する「ももきぬ」でもそれは同じだと思う。
確かに「モモキヌイソギンチャク」はいかにも発音しにくい名前だけど、学術的手法に則って丁寧に書かれた論文の結論を、発音のしやすさという点だけで退けてしまうのは不誠実だと思う。
その点は、やはり残念だな。
* * *
というわけで、新種のイソギンチャク「ツキソメイソギンチャク」の命名態度を巡って、プレスリリースに言及があった村田氏の論文の説明を中心に、疑問を投げかけてきた。
村田氏の説は妥当なものと思うけど、「褐」に「染める」の意がないのか、なお中国の文献なんかも見てみる余地はあると思う。
まあ、軽く見たけどそもそも動詞として使う字じゃないようだから「染める」は難しそうだけどね。
「ツキソメイソギンチャク」で決まってしまうのはとても残念だけど、そもそもこれは我々文学研究者側が良質な『万葉集』テキストを提供できていないことに原因があると思う。
実際、村田氏も最後に
> 訓が一度定着すると、その論拠を確認することなく訓のみが普及する。(15頁)
と検証の浅さに警鐘を鳴らしている。
手に取りやすい『万葉集』の良質なテキストの作成が急がれるね。なんとかやっていきたい。
最後に、この記事を教えてくれたうえの氏([@
[email protected]](https://fedibird.com/@utan))、記事のソースを探してくれたモリーオ氏([@
[email protected]](https://social.t2arc.net/@ozoramore))に感謝をして、擱筆したいと思う。